« 2008年7月 | トップページ | 2009年6月 »

2008年9月

縄文的価値観

Mapkotago  もう10年くらい経ちますが、奈良県吉野郡川上村の上多古川林道を行き止まりまで遡りました。その周辺の植生が不自然に感じたので、帰途に川下の集落で古老に尋ねました。矢納谷出合と呼ばれる周辺は、戦後ある時期までブナ林に覆われていたそうです。
その後林道の延長につれて皆伐されたそうです。
 写真は川沿いの七尋滝ですが、杉が植林されているのですが、こんな奥地でもご覧の通りです。この風景から何を感じ取るかは主観的なものですが、原生に近い自然林が伐採されて杉が植林されたことを知る私は、元の植生を想像して現在の貧相な植生を嘆いてます。
 Kotagosugi 専門家の調査によれば(北村昌美|1995)、日本人には針葉樹の一斉林好みの傾向が強いとのこと。杉林の林相が広葉樹に比べて整然として秩序だっているというので日本人好みだそうだ。しかし、それは太古の昔から広葉樹の中で暮らしてきた、日本列島の原住民の価値観ではなく、征服者とその子孫の価値観を反映しているに過ぎない。ここ吉野川の流域には、近年に縄文時代の遺跡が発掘されたし、国栖の伝説で有名な原住民が、古墳時代にもなお石器時代のような生活をしていたのである。この秋にも、また上多古川林道を遡り、古老の住んでいた集落を訪ねてみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

うんざりする杉の植林

自分のよく出かける関西の山間フィールドには、杉の植林が圧倒的に多い。中には吉野郡のような歴史の旧い植林地帯も少なくないが、目立つのは戦後の拡大造林の時代に植林された森林である。元々の植生は平地から山麓にかけて常緑照葉樹で、奥地は落葉広葉樹に違いなく、奥地ではブナ林も珍しくなかったであろう。

杉や檜一辺倒の植林の歴史は古く、奈良時代から寺社建築のため杉や檜材の需要が高まっていた。ただし当時植林技術があったとは考え難く、あっても規模は小さくて、大規模な植林は近世以降とされる。そして昭和の敗戦後しばらくして、山地の至る所を杉の植林で覆い尽くしたのである。戦時中の乱伐に加えて、山地にも人手が余っていたので、その進捗ぶりは異様であったろう。

中部から東北日本に盛んであった、いわゆる拡大造林の典型は関西では少ない。国有林ではなく主として大規模な民有林、および山村の小規模な私有地や共有地に、杉(一部は檜)を植え尽くしたのである。したがって林野庁のような官主導ではなく、地主とか森林組合、農協とか商工会が主導したと言い得る。その結果として、今日に見る単調で貧相な植生と花粉症の源が形成されたのであるから、これは取り返しのつかない、回復不能な昭和の愚挙であった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2008年7月 | トップページ | 2009年6月 »